藤目節夫のブログ

まちづくりに関することが多いですが、それ以外にも、徒然に思うことを書きます。

暮らしのものさし

 人は誰しも心の中に「暮らしのものさし」を持っている。自分の日々の暮らし、暮らしを取り巻く環境、さらには社会の出来事などを評価する基準である。「価値観」と置き換えても良い。それゆえ、同じ暮らしや環境、条件でも、保有する「ものさし」によりその評価が異なる。山里に移り住んでつくづく思うことは、ここでの暮らしを彩り豊かにするか否かは、「ものさし」の持ちよう次第ということである。

 ある秋晴れのさわやかな日であった。庭にはいつものようにトンボ(アキアカネ)が飛び交っていたが、気まぐれにそのトンボに指を差し出してみた。すると思いもよらぬことに、我が指先に止まったのである。子供の時には友達とトンボを捕りによく出かけたものだが、トンボが指に止まるような経験をしたことはない。

 もとより、取るに足りない話であり、新しい事実の発見ということでもない。他人にとってはどうでもよい話であろう。しかしながら、私にとっては、山里の暮らしに彩りを添える出来事であり、私の「暮らしのものさし」の琴線に触れる出来事でもあったのである。爾来、アキアカネに出会える秋の訪れが待ち遠しいものとなった。

 全国の中山間地域で種々の活性化事業が展開されているが、ほとんどはモノづくり、コトづくりである。その重要性は論を俟たないが、さらにはココロづくりも必要ではないか。新しい「暮らしのものさし」づくりである。まちづくりとは、地域住民が諒解できる「暮らしのものさし」を、みんなの知恵と汗で創造する営為ではないかと思っている。(愛媛新聞・平成26年1月30日 「伊予弁」 一部修正加筆)

品格のあるまちづくり

 ゆるキャラ・B級グルメ・軽トラ市、これらは、近頃目につくまちづくりのテーマである。話題性や賑わい創出という点で一定の評価ができるが、少しばかり気になることもある。それは、あたかもまちづくりが、この種の活動だけで完結するがごとき風潮が少なからず見られることである。

 かつて藤原正彦氏は、国家には品格が必要なことを、ベストセラー『国家の品格』の中で唱道したが、その品格の必要性は国家に止まらず、地域(町や村)においても然りであろう。

 品格のあるまちを正確に定義するのは容易でない。敢えて定義すれば、外面的には美しい景観を保全し、内面的には良き伝統・文化・暮らしの価値観などを継承しているまち、とでもなるであろうか。

 分けても、景観まちづくりは喫緊の課題であると言えよう。徳島県祖谷の住人であったアレックス・カー氏は、著書『美しき日本の残像』の中で、もはやこの国では、美しい景観の「残像」しか垣間見ることができないと慨嘆している。

 遅ればせながらでも、「景観へのまなざし」を人々の心に醸成することが必要である。「景観法」を活用した景観計画づくりが必要なのは論を俟たないが、先ずは身近なところから景観問題に取り組むことが現実的であろう。さしあたっては、見苦しい立て看や幟に目を向け、これの規制運動から始めてはいかがであろうか。

   (愛媛新聞・平成26年5月22日 「伊予弁」 一部修正加筆)