藤目節夫のブログ

まちづくりに関することが多いですが、それ以外にも、徒然に思うことを書きます。

もうなんたってモーツアルト

1 .突然変異
 かつてピアノの音を聞いただけで頭が痛 かった人間が、いまは1日10時間以上もモー ツアルトの音楽を聞いていると言って、果たして信じてくれる人がいようか。長女にピア ノを習わすと言った妻を説得し、「ビアノは 頭が痛くなるから勘弁してくれ、琴ならば良 い」と言った人間が、今では、娘の弾くつたないピアノの音を聞いても、きれいな音だと感じるなどということを、これまた信じてくれる人がいようか。
 私の体の中で突然変異が始まったのは、金に困った学生から頼まれてステレオセットを買った時である。生来の貧乏症、公務員の安月給でせっかく買ったのだから聞かなくては損と、 レコードを借りたり買ったりして、いろいろな作曲家の曲を聴いて出会ったのがモーツアルトである。小林秀雄のようにト短調交響曲を聞いて感動で震えたりはしなかったが、突然変異が起こった後の私にとっては、 大げさに言うと、もはやモーツアルトの音楽のない日々は考えることができないのである。 モーツアルトに出会って、世の中でこんなに素晴らしいものがあるのかと思った、人生で 2度目の経験である(一度目は内緒)。
 誤解のないように言っておくと、私はクラシック音楽が好きなのではなく、モーツアル トの音楽が好きなのである。モーツアルト以外は全くと言っていいほど聴かない(唯一の 例外が島倉千代子である)。「なんたってモーツアルト」は漫画家砂川しげひさの著書のタイトルであるが、僕にとっても「なんたってモーツアルト」、「なんたって広島カープ」な のである(広島カープはこの際余計でした)。

2 .モーツアルトに貢ぐ
 惚れた弱み、好きな人にはいくら金をつぎ込んでも惜しくないのが浮き世の常、モーツ アルトだって同じである。これまでモーツアルトに貢いだお金は、新車が1台買えるほど である(国家公務員の安月給を考えると、これは天文学的な額である)。大学の研究室には、妻に頼んでやっと買ってもらったミニコ ンポがある(この交渉に約1年を要した)。これで仕事中いつも、BGMとしてモーツア ルトの音楽を流している。自宅の書斎には、 ステレオセットと4台のスピーカーがある。 2台は机について仕事するときに、他の2台 はソファに座って軽い書物を読む時に使用するスピーカーである。ボロ車にもカーステレオがあり、そこにはもちろんモーツアルトのテープが入っている。 テープの数は約200本、CDもオペラ以外は ほとんど持っていて約100枚、もちろんすべてモーツアルトである。
 その他にも金を使った。書斎の机の上には、 銅製のモーツアルトレリーフがある。モーツアルトの生地ザルツブルグで買ったものだが、これもずいぶん高かった。さらに机の上 には、没後200年を記念してオーストリア政府が発行した銀貨が2枚ある。これも私の給 料から考えるとずいぶん高かった。本当は金貨を買いたかったのだが、1カ月の給与に近い額だったので残念ながら我慢した。

3 . 無賃乗車で演奏会
 モーツアルトについての思い出はたくさんあるが、なかでも極めつきはウィーンでの大失敗である。数年前、アメリカでの留学の帰りにオーストリアのウィーンに立ち寄り、 モーツアルトの演奏会に出かけた。ホテルの女将から会場への道順を聞き、電車で出かけることになったが、駅に行くと駅員がいなく切符を買う場所もない。どこで買うのだろうと思案しているうちに電車が来て、仕方がない電車の中で買おうと乗り込んだが車掌もいない。 それでは降りる駅で料金を払おうと考えたが、これまた駅員がいない。帰りもこの調子であった。
 ホテルに着き、女将にここの電車はただかと聞いてみると、なんと切符は煙草屋で買い、 駅の入り口にある機械に切符をはさみ、日付などのスタンプを押してもらうシステムに なっていると言う。時々駅員が見回りにきて、無賃乗車をしている者には罰金を払わすよう になっていると言う。これを聞いて冷や汗が出た。書斎の壁には、この時の演奏会のポスターが貼ってあるが、これを見るといつも、演奏会で聞いたアイネ・クライネ・ナハト・ ムジークの美しい音色と無賃乗車のことを思い出す。まさに、美しくも哀れな思い出である。

4.モーツァルトの魅力
 モーツァルトのどこが良いかと聞かれても、音楽評論家でないのでうまく答えることができない。そんなときは他人の言葉を引用するに限る。小林秀雄は著書「モオツアルト」の中で、「モオツアルトの悲しさは疾走する。涙は追いつけない。」とモーツァルトの音楽を評したが、言いえて妙である。
 またゲーテは、モーツァルトの音楽を「悪魔が発明した音楽」だと評した。美しい音楽で誰にでも真似できそうで、実は不可能な音楽、悪魔が凡人をからかうために作った音楽であるというのである。確かに5歳でピアノ曲を、そして9歳で交響曲を作るなどとは、神の子(神童)か悪魔でなければできない仕業であろう。二短調弦楽四重奏曲(四弦)などを聞いていると、まさに悲しさは疾走するし、イ長調クラリネット協奏曲は、透き通るような清澄感・美しさが形容しがたいほど素晴らしい。モーツァルトの音楽を「天使の歌声」とか「白鳥の歌」とか称したのは誰か知らぬが、まさに四弦(いや至言)である。

5.天才モーツアルト
 モーツァルトが天才であることは論を俟たないが、一説によると妻コンスタンツェは、夫が死ぬまで天才であることを気づかなかったと言う。これは、日頃妻から軽く見られて いる者としては看過できない説であり、そこで、かつて我が妻にこの話をしたことがある。 彼女の答えは、「ふ-ん」であり、「それがあなたと何の関係があるの」であり、軽く一蹴されてしまった。
 天賦の才を凡人は熱望するが、小林秀雄によれば、天賦の才は当人にとっては重荷であり、才能があるお蔭で仕事が楽なのは凡才に限るそうである。なるほど稀代の評論家の視点は凡人の及ぶところではないと分かったのはめでたいが、天賦の才なくおまけに仕事が重荷な者は、凡才にもなれないということが分かったのはめでたくない。凡才以下をなんと言うのだろう。彼の生前中に聞いておけば良かった。
 確か大ヒットした映画「アマディウス」でも、このモーツァルトの天才に嫉妬した宮廷楽長のサリエリが、自分には天才を認める能力しか与えてくれない神を憎み、モーツァルトをその神の申し子と見なし、殺害することによって神に報復するというストーリーであった。凡人以下としてはサリエリの気持ちがよく分かる。身につまされる思いである。それにしても、あの映画ではコンスタンツェの豊満な胸がやけに目についたなあ。
 凡人以下の嘆き・たわごととは関係なく、天才モーツァルトの音楽はあくまで清澄で美 しい。ゲーテモーツァルトの音楽をいみじくも「奇跡」と呼んだが、彼が生涯で作曲した600余の音楽はまさに奇跡である。35年の短く激しい生涯を駆け抜け、結果的には自ら の鎮魂歌となるレクイエムの完成を待たずにその一生を閉じたのが、1791年12月5日午前零時55分であった。
 今年はモーツァルト没後200年である。彼の音楽は時間を超越して我々に迫ってくる。 いや、彼の音楽はいつの時代にも、時代に先行しているのかも知れない。
      (愛媛県社会経済研究財団「社経研レポート」、第66号、1991 所収)

 

跋語
 約四半世紀前の駄文です。モーツアルト中毒症に罹患し、回復の見込みなく、慢性化しつつあった頃に書いたエッセーです。モーツアルトに魅せられて40年が経ちましたが、未だに症状は改善しません。死ぬまで直らないでしょう。