藤目節夫のブログ

まちづくりに関することが多いですが、それ以外にも、徒然に思うことを書きます。

身銭を切る

 政治家が地元へ利益をもたらそうとして、土木亊業をはじめさまざまな亊業を地元に誘導しようとする政治を、利益誘導型政治という。この型の政治の代表が田中元総理が新潟県に対して行った政治だとするむきがあるが、私は彼だけが特別だとは思わない。政治家なら誰でも次の進挙のために地元へ利益をもたらすことに日夜腐心しており、また選挙民がそれを望んでいる。

 斯く考えると、田中元総理のかつての政治力の大きさを斟酌しても、新潟県が不当に大きな利益を得ているということにはならないのではないか。政治力による多少のデコボコは認めるとしても、マクロ的に見ると地域の規模に、そして地域間格差是正という大原則に従って、ある一定の予算額が配分されているとの説が穏当ではないかと思われる。

 かつてこのコラムで、同じ予算を使うなら本四架僑3ルートを1ルー卜にし、2ルート分の予算は島内の高速道路に回した方が交通システムとして望ましいと述べた(2ルート分の予算で四国縦貫・横断道が完成し、さらにおつりがくる)。すでに指摘したように、四国に来る予算総額がもし決まっているならば、四国島民が一方で望んでぃる高速道路は3ルート要求のために整備が遅れた、と言えなくもないのである。

 斯く言う根拠を、はたまた証拠を示せと言われても困る。そんなものはない。しかし、国家予算が限られており、他地域と比較してさしたる特別の理由もあると思えないのに、四国にだけ特別枠があると考える方が不自然ではないのか、と私には思われるのである。

 配分されるパイの大きさが一定なら、非効率な要求は得策ではない。一般に「予算を分捕る」と言う。分捕るとは言うまでもなく、他人のものを略奪することである。文字通り分捕るのなら、国家経済的に非効率であろうと地域にはそれだけ余分の予算が転がり込む。分捕りたいのは人情である。

 自分の捕り分を自分で捕るのは分捕りではない。しかし現在の政治システムでは形の上では地方に分捕らすようになっていて、要求をしなければ何らの予算も地方に回って来ない。従って、私がいくら委曲を尽くして結果的には分捕りにはなっていないと言つても、その結果に至る過程は分捕りそのものゆえ、我が説に迫力がない。

 斯くしていずこの自治体も過程としての分捕り合戦をやる。それは我が田に水を引くようなものゆえ、全体として非効率なこと論を俟たない。しかし非効率だとして要求しなければ他が要求して奪う。

 この状況を打開するためには政治システムの変更しかない。「地方の時代」と言われて久しいが、その実感は未だない。真に地方の時代なら、国税地方税の税収割合(現状6:4)を、国と地方の支出額の割合(4:6)に合わせて、地方に渡す金(地方交付税)を増やしてはどうか。いかなる事業に予算を使うかは地方が選択する。非効率な投資をすればその分地方が損をする。

地方の時代は「選択の時代」である。より良い選択、それは「身銭を切る」という感覚から生まれる。この感覚は、もとより、困惑顔で拱手傍観していて醸成されるものではない。身銭感覚が身に付くうまい仕掛け・システムを考える必要がある。

ここで2人の才人のアイデアを紹介したいが、その前に凡人(小生)がかつて、授業料に関して学生に戯れに話した「身銭感覚醸成法」を紹介しよう。学生は高い金(授業料)を払って授業を受けているのであるが、この認識がきわめて薄い。その証拠に、かつては休講になると「万歳」と喜んでいる学生が大半であった。そこで教壇に箱を置き、これに授業毎に1コマ分の授業料を入れさすことにする。さすれば、「○○先生の講義は休講、授業料だけ箱に入れろ」と言えば、学生は文句を言うであろう。かくして身銭感覚が次第に醸成され、多少は勉強にも身が入るというものである。この案の弱点は、肝心の金は親が払うので、果たして学生の尻に火が着くかということであるが・・・。

さて、凡人の戯言はこの程度にして、二人の才人の身銭感覚醸成法をご紹介しよう。その二人とは、経営の神様・松下幸之助氏と、名エッセイスト・山本夏彦氏である。二人とも役所の税金の無駄遣いをなくす方法に言及しているが、奇しくもその提案内容は酷似している。役所はご承知のように、年度予算を立てて事業を実施する。もし年度末に事業は無事に終了し、しかも予算が余れば、民間ではめでたいことこの上ないが役所はそうではない。予算が余ったと見なされ、次年度の予算は減額されるのである。それゆえ、予算は余すことは許されず、無駄でも使い切ることが至上命令となる

そこで二人の才人の提案は、ある事業で予算を余らせれば、その額に応じて事業担当者にボーナスを支給せよ、というものである。なるほど、このやり方なら職員に無駄を省くインセンティブが働き、身銭感覚が醸成されることになるだろう。この提案で重要なことは、理ではなく利でもって目的を達成しようとすることである。無駄遣いは不正義である、ゆえに止めなければならない、と理をもって諭すのではなく、ボーナスという利でもって導くのである。

金で釣るのは汚い、理で諭すべきだと思われる方も多かろう。美しい考えである。しかしそれは、あまりにも人間の本性を知らない物言いではないか。だって、これまで理で諭して何十年、一向に無駄遣いが止まないのが現実なのだから。とすれば、人は理で動かないという結論はすでに出ていると見るべきではないか(もとより、何事にも例外は認めるが)。そう考えると、2人の才人のアイデアは、荒唐無稽どころか、人間の本性を熟知した提案ではないかと思われるのである。才人と呼ばれる所以である(愛媛新聞・四季録、昭和62年3月17日、一部修正加筆)。

 

跋語

 本四架橋と高速道路の話は少し古くなったが、ここで指摘した身銭感覚の喪失の問題は、残念ながら、依然として古くて新しい問題である。ある種の社会的な問題があるとき、個人の気づきと正義感で解決を図る必要性がしばしば強調されることがある。それが有効な場合がないとは言わないが、多くの場合は正義と気づきだけに期待していては解決できないであろう。ちなみに、小生が役人になったとしても、現状の予算システムでは、恥ずかしながら同じことをやるだろうと思うのである。恐縮であるが、読者諸氏の多くも私と同意見ではないだろうか。システムの改変が必要な所以である。

ところで、税金の無駄遣いといえば、近年の「ふるさと納税」の仕組みは、もともと納税意識の低い国民の意識をさらに低下させる悪法中の悪法であると思っているが、これについては稿を改めたい。

グリーンジュース

 古い話で、また私事にわたる話で恐縮であるが、私が小学生の時、学校にグリーンジュースを売りに来る人があった。グリーンジュースの材料や作り方は今もって詳らかでないが、多分野菜の搾り汁に砂糖を加えたほどのものであったろう。学校側は健康によいということで、希望者には購入し学校で飲むことを許可したが、現在なら「子供の間に不平等が生じる」として学校側は許可しないであろうことは想像に難くない。

 私は故あって許可する方が良いと思っているが、それはともかく、私も人並みにこれを買ってほしいと思った。そしてある朝、母親に買ってくれるようにねだったが、母は頑として私の願いを聞いてくれなかった。理由は簡単で、わが家には金が無い、ということであった。 私はA君もBさんも、はたまたC君も買ってもらっており、ただ一人自分のみが買ってもらってない、と多少誇張して母に訴えたが、願いは叶わなかった。

 昔のことなので、その時私が母に向かって言った言葉を正確に記憶していないが、多少母を非難する言葉を残して家を出た。子供心に少し言い過ぎたと思ったのだろうか、塀の節穴から中を覗くと、そこには涙を流す母の姿があった。私は、常日頃からわが家は貧乏だと聞かされていたが、その時それが事実であることを身をもって悟った。爾来、私は余程のことがない限り母親に強要しなくなった。

 このような家庭の経済状態だから、私は親から財産らしい財産は譲り受けていない。私が親から譲り受けた唯一の財産があるとすれば、それは貧乏精神ではなかったかと思っている。金は譲り受けなかったが、金の大切さ、使い方について、また我慢するということについては多少なりとも教えられたような気がする。

 私は、学生時代は日本育英会奨学金と家庭教師のアルバイトが唯一の収入源のため、貧乏学生で金に困ったこともしばしばであったが、社会人になってからそのような経験がない。金に困ったことがないと言えば、さぞかし高給を貰っていると思われるかもしれないが、ご承知の通りの国家公務員の給料である。私が言っているのは、自分の給料の範囲の中でできる生活をしているということである。私は、家・土地は別にして、ローンでは絶対に物を買わない。結局高くつくこともあるが、給料の範囲の中で生活する、という親から譲り受けた唯一の財産を失うような気がするからである。

 既にお気づきのように、私は、金持ちの子供にだけでなく貧乏人の子供にも譲り受ける財産があると言っているのである。もしあの時、家計の苦しさを隠して母がグリーンジュースを買ってくれ、はたまた私が要求するがままにおもちゃ等を買ってくれていたら、グリーンジュースと幾らかのおもちゃは手に入れることができたであろうが、それは私の財産にはならなかったであろうと思うのである。

 国民の大多数が中流意識を持っている今日、貧乏意識など流行らないものの一つなのだろうか。(愛媛新聞・四季録、昭和61年11月11日、一部修正加筆)

 

跋語

 国民の8,9割が中流意識を持っていた時代に書いたものである。私の家では貧しくてグリーンジュースを買ってくれなかったが、当時は他の多くの家でも、子供がねだるものを簡単に買い与えることは少なかったように思う。子供は買って貰うための常套手段として、友達は買って貰っていることを強調したが、多くの家での対応は「よそはよそ、うちはうち」であったように思う。それでも子供が納得しない場合には、「そんなに買って貰いたいなら、よその子になれ」と言ったものである。それぞれの家で独自の子供の教育方針を持ち、それをある程度貫けた時代であったように思う。

 現代は様相が全く異なるのではないか。子供に惨めな思いをさせないのが親の愛情であると単純に思い、他の子供と横並びにしてやることをもってよしとする風潮が蔓延している。それなのに、一方で、個性ある人間に育てとしきりに言う。

 「よそはよそ、うちはうち」という考え方・育て方を、もう一度見直す必要があるのではないだろうか。これも含めて、古人の考え方・価値観・生き方から現代人は学ぶべきことは多いと思っている。

右なら左、左なら右

 現代は情報化社会、それも高度情報化社会だそうである。情報化社会というからには、さぞかしありとあらゆる情報があると期待するのは当然であり、それにこたえてこそ真の情報化社会である。ところがあに図らんや、一方の側の情報意見だけが流され、反対側のそれはあまり聞くことができない。

 斯く言う証拠を例を挙げて示そう。今治市の織田が浜埋め立て反対運動は格好の事例である。塾を経営する一老人の反対から始まったこの運動は、ある大新聞がセンセーショナルに取り上げたこともあり、瞬く間に多くの今治市民を巻き込む運動に発展し、埋め立て反対署名は住民のかなりの数に上ったという。

 この運動に関するマスコミの報道は、反対側住民の意見、この住民と市長・行政側との葛藤の様子に終始し、その論調は常に市長・行政に批判的であった。奇妙なことに、市長・行政を弁護する報道や一般市民の声を私は全く見聞きすることができなかった。

 私が奇妙なと言うのには訳がある。いかなる市長であれ必ず次の選挙の洗礼を受ける。今治市長も例外ではない。さすれば、多数の市民の反対のある埋め立てを断行するのは次の選挙にプラスにならない。それを承知であえて埋め立て計画を実行するのは、今治市の将来にとりこの計画がぜひとも必要だ、という強い信念があるからではないかと考える人がいてもよいと思うが、私の知る限りそのような情報は皆無であった。

 念のため断っておくが、私は今治市長と縁もゆかりもなく、また同市長が強い信念をもっているか否かも承知せぬ。ただ、そう考える人がいても不思議でないと言っているのである。 くどいようだが再度断っておくと、織田が浜の埋め立ての是非をここで論じているのではない。

 私は一方の側からの意見や情報のみが流される社会は不健全な社会だと思う者である。 戦時中がそうであった。戦争を賛美したり軍部を称える意見や情報のみが喧伝され、戦争の否定者は国賊・非国民と罵られた。従って戦争否定の意見は皆無であった。この当時殺人は正義であって、その数の多さにより勲章まで授けられた。殺人を否定する意見はこれまたなかったのである。

 現代は平和の時代である。従って戦争反対が正論であると信じている。しかし、これとて先の戦争で日本が勝ち、軍部が依然として力をもっていたらどうなっていたか解らぬ。依然として軍部を賛美し、戦争を否定しないであろうと思うのである。衆寡敵せずである。正義は正しいものの側にあるとお思いであろうがそうではない。正義は常に多数の側にある。数による正義は真の正義ではない、うろんな正義である。

 現代はマスコミの時代である。マスコミの意見が国民世論を形成する。マスコミ民主主義と言われる所以である。その肝心のマスコミの意見は何に従うか、自らの信念や事実(ファクト)に従うと思いたいが、必ずしもそうではない。国民の多数を顧客にしている宿命上、国民大衆の気に入らない意見を主張できない。そこで国民に迎合した倒錯した意見となるのである。

 この推考に理があるとすれば、マスコミがはたまた大多数が右だと言えば左、左だと言えば右と考える思考法には、一定の合理が保証されると言ってよいのではないか。私は独創的存在でありたいと願いその能力に欠ける者である。しかし悲しいかな、研究者という仕事は情け容赦なく独創性を要求してくる。これにどう対応するか、ある日苦肉の策として思いついたのが「右なら左、左なら右」の思考法である。

 この思考法は、独創的たらんとしてなれない凡庸な人間の無駄な抵抗であることは十分承知している。しかし好都合なことに、この思考法で自己の内心において論理矛盾を感じたことはあまりない。小生の鈍感さと独善性によるのであろうか。

独善毒語これにておしまい。

愛媛新聞・四季録、昭和62年3月31日、一部修正加筆)

 

跋語

 愛媛新聞から半年間の「四季録」の執筆を依頼された時に、最終回はこれでいこうと決めていたテーマである。30年近く経過して読んでみても、主張、論理構成で根本的に改める必要性はあまり感じなかった。社会の状況もドラスチックな変化はなく、マスコミ民主主義は依然として闊歩していると言わざるをえない。意見が売買され、それも何百万という読者を持てば、世に阿る意見が跋扈するのは致し方ないことなのか。この意味で、近年のSNSの発達はブレークスルーになる可能性を秘めているが、個人的にはそこまで期待できないような気がしている。何故か? それは、SNSの普及だけでは個人が自己で考え判断する主体性は担保されないと思うからである。

 最後の「独善独語これにておしまい」は、四季録の最後の執筆であり、その内容が独善的で毒を含んだものであることを承知していたからである。

一億総アマチュア

  かつてテレビが出現した時に「一億総白痴」の時代が来ると予測したのは、確か大宅壮一氏であると記憶している。この伝でいくと現代は「一億総アマチュア」の時代ではないかとひそかに思っている。一億総アマチュアとは、本来はプロが行うべき仕事が次第にアマチュアにとって取って代わられるようになり、その結果、本当のプロを探すのが極めて困難な、そして本当のプ口を知らない人が大半を占めるような時代が来つつある、というほどの意味である。

 卑近な例で恐縮であるが、かつては飲み屋の女給(今流だとスナックのホステスと言えば良いのか)もプロであった。彼女たちは、初めて店に来た客の好みと教養の程産をほんの僅かな会話から見抜く必要があったし、また、その程度に応じて客を楽しく飲ませて帰らせる話術を磨く必要もあったであろう。

 それが力ラオケの出現である。客の好みや教養関係なし、話術を磨く必要これまたなし、ひたすら客に歌を歌わせれば良いのである。今や彼女たちに求められているものは、客が歌い終わった時の拍手と、下手な歌でも「うまい」とお世辞を言うことだけである。かくして飲み屋の彼女たちもアマチュアで勤まる時代が来たのである。

 何も一億総アマチュアは飲み屋の彼女たちだけに限らない。最近はファースト・フードの大はやりである。アメリカから輸入されたもの、日本で考え出されたものといろいろあるが、いずれもアマチュアが食べ物を作るという点においては甲乙ない。アマチュアが作った物が売買されるのは、刑務所で受刑者が作った家具などの例外を除くと、有史以来のことではないかと思っている。ファースト・フードだけではない。他の飲食店においても一部の例外を除くとこれと大同小異であること、外食された経験のある方なら先刻ご承知であろう。

 商店の店員もまた然りである。商品についての知識などまるでない者が多く、客への応対の仕方を知らない者が実に多い。ひどい時には、客が「ありがとう」と言い、 店員が「どうも」と言う始末である。 どこぞの歌手のように「お客様は神様です」と思えとは言わないが、客があって商店が成り立つのである。 然らば店員がありがとうと言うべきこと、小学生にも解る道理である。

 アマチュアの蔓延実に嘆かわしい、と書こうとしてふと気がついた。これは自分にとって良い時代が来つつあるのではないか。 何故なら、今に大学の教師 もアマチュアでやっていける時代が来るであろうから、いや既に来ているという指摘もある。ならば、それほど慨嘆する必要はないと留飲が下がったのである。(愛媛新聞・四季録、昭和61年10月7日)

 

跋語

 30年前の一億総アマチュア化が、現在では一億総マニュアル化に姿を変えたと言えばよいのであろうか。近年、プロフェッショナルに関するテレビ番組が人気だが、ここに登場するような極めつけのプロでなくとも、日々の暮らしの中に自らの仕事に誇りとプロ意識を持った人がもっと多くいたと思うのですがね。

 このエッセーは、四季録の第1回目なので力を入れて書いたつもりなのだが、力み過ぎで未熟さが散見され、今となっては汗顔の至り、と言うところでしょうか。ただ、この駄文で訴えたかった趣旨については、30年経ってもあまり修正をする必要はないなあ、という感じですかね。

四国ヘンローズ

 私は故あって広島カープの熱烈なファンである。カープの本拠地が松山にあれば、仕事の合間に、いやたまには仕事などすっぽかして試合を見に行けるのにと常日頃思い、そしていつもそれは叶(かな)わぬ夢と悟るのである。なぜ叶わぬか、訳は簡単で、私が広島市ではなく松山市に住んでいるからである。

 斯く言うと、ついに気が狂(ふ)れたかとおっしゃるかもしれない。多少その気がなくもないが、 私が言わんとしたいのは、松山市あるいは松山都市圏ほどの入口規模では、プロ野球の球団を持つことが極めて困難だということである。

 プロ野球だけではない。八百屋にしろ魚屋にしろ、はたまた歯医者にしろ眼医者にしろ、その経営が成り立つためには一定数以上の人口が必要なのである。これを人口閾(いき)値という。もちろん八百屋の人口闘値と歯医者のそれとは異なるが、いかなる機能であれ、地域の人ロがその人口閾値に達しない場合にはその機能は存在しえない。人口闘値に達しない場合はどうするか。その機能を諦めるか、遠く他の地へ出かけてその機能を享受するしかない。

 本四連絡橋今治尾道ルートの大三島橋は既に完成し、現在、伯方・大島大橋が建設中である。この架橋が完成すると、越智郡の三島五町が陸続きとなる。陸続きとなって何が変わるか。島の面積が増えるわけでなし、人口が増えるわけでもない。

 すでに私が何を言いたいかお気づきであろう。三島五町三万人余が架橋で結ばれることによって、これまで各島単独では超えることのできなかった人口闘値を超えることができ るようになったのである。交通の発達は地域間をより短時間で結合する。それは視点を変えると、これまで人口闘値に達しないため存在しえなかった機能の新たな誕生を意味する。

 地理的スケールを四国に拡大してみよう。現時点では四県を一緒にした人口を考えても無駄である。しかし四県が高速道路で相互に結合された暁には、理論的には四百万人余の 人口闘値をもつ機能の成立も可能である。念願のカープもこれで成り立つ。もっともカープは広島が手放さないであろうから新しい球団の誕生となる。さしずめ名前は四国ヘンローーズ(遍路)が良かろうと思うがいかがであろうか。

 四国になくて九州にあるものの一つに国際空港がある。それも四空港ある。九州はシリコン・アイランドと呼ばれ日本でも有数のIC生産地である。製品の一部は東南アジアに輸出される。もし九州に国際空港がなければ、製品は一度東京か大阪へ運ばれて通関手続きをしなければならない。国際空港の意義がおわかりであろう。わが四国でも四百万人余の人ロが一体となれば国際空港の一つぐらいは可能である。

 先日、四全総に対するヒアリングが高松であり、四県知事が参加してそれぞれ要望を述べたという。新聞で見る限りその要望は各県で異なり、入口闘値四百万人に対する配慮は極めて少ない印象を受けた。

 古事記に曰く、「次に伊予之二名島を生み給ひき。此の島は身一つにして面四つ有り」。未だに四国には四つの顔がある。(出所:愛媛新聞・四季録、昭和62年2月3日)

 

跋語

 約30年前に愛媛新聞の「四季録」に半年間、毎週書いたエッセーの一つです。今改めて読んでみると、論旨の通らない箇所や視点の未熟さが散見されますが、まあそれも若いという証拠の一つと思い、手を加えずにそのまま掲載しています。

 未だに四国ヘンローズは誕生していませんが、その分カープが頑張ってくれてます。それにしても、今年のカープは強かったですね。カープ万歳!

もうなんたってモーツアルト

1 .突然変異
 かつてピアノの音を聞いただけで頭が痛 かった人間が、いまは1日10時間以上もモー ツアルトの音楽を聞いていると言って、果たして信じてくれる人がいようか。長女にピア ノを習わすと言った妻を説得し、「ビアノは 頭が痛くなるから勘弁してくれ、琴ならば良 い」と言った人間が、今では、娘の弾くつたないピアノの音を聞いても、きれいな音だと感じるなどということを、これまた信じてくれる人がいようか。
 私の体の中で突然変異が始まったのは、金に困った学生から頼まれてステレオセットを買った時である。生来の貧乏症、公務員の安月給でせっかく買ったのだから聞かなくては損と、 レコードを借りたり買ったりして、いろいろな作曲家の曲を聴いて出会ったのがモーツアルトである。小林秀雄のようにト短調交響曲を聞いて感動で震えたりはしなかったが、突然変異が起こった後の私にとっては、 大げさに言うと、もはやモーツアルトの音楽のない日々は考えることができないのである。 モーツアルトに出会って、世の中でこんなに素晴らしいものがあるのかと思った、人生で 2度目の経験である(一度目は内緒)。
 誤解のないように言っておくと、私はクラシック音楽が好きなのではなく、モーツアル トの音楽が好きなのである。モーツアルト以外は全くと言っていいほど聴かない(唯一の 例外が島倉千代子である)。「なんたってモーツアルト」は漫画家砂川しげひさの著書のタイトルであるが、僕にとっても「なんたってモーツアルト」、「なんたって広島カープ」な のである(広島カープはこの際余計でした)。

2 .モーツアルトに貢ぐ
 惚れた弱み、好きな人にはいくら金をつぎ込んでも惜しくないのが浮き世の常、モーツ アルトだって同じである。これまでモーツアルトに貢いだお金は、新車が1台買えるほど である(国家公務員の安月給を考えると、これは天文学的な額である)。大学の研究室には、妻に頼んでやっと買ってもらったミニコ ンポがある(この交渉に約1年を要した)。これで仕事中いつも、BGMとしてモーツア ルトの音楽を流している。自宅の書斎には、 ステレオセットと4台のスピーカーがある。 2台は机について仕事するときに、他の2台 はソファに座って軽い書物を読む時に使用するスピーカーである。ボロ車にもカーステレオがあり、そこにはもちろんモーツアルトのテープが入っている。 テープの数は約200本、CDもオペラ以外は ほとんど持っていて約100枚、もちろんすべてモーツアルトである。
 その他にも金を使った。書斎の机の上には、 銅製のモーツアルトレリーフがある。モーツアルトの生地ザルツブルグで買ったものだが、これもずいぶん高かった。さらに机の上 には、没後200年を記念してオーストリア政府が発行した銀貨が2枚ある。これも私の給 料から考えるとずいぶん高かった。本当は金貨を買いたかったのだが、1カ月の給与に近い額だったので残念ながら我慢した。

3 . 無賃乗車で演奏会
 モーツアルトについての思い出はたくさんあるが、なかでも極めつきはウィーンでの大失敗である。数年前、アメリカでの留学の帰りにオーストリアのウィーンに立ち寄り、 モーツアルトの演奏会に出かけた。ホテルの女将から会場への道順を聞き、電車で出かけることになったが、駅に行くと駅員がいなく切符を買う場所もない。どこで買うのだろうと思案しているうちに電車が来て、仕方がない電車の中で買おうと乗り込んだが車掌もいない。 それでは降りる駅で料金を払おうと考えたが、これまた駅員がいない。帰りもこの調子であった。
 ホテルに着き、女将にここの電車はただかと聞いてみると、なんと切符は煙草屋で買い、 駅の入り口にある機械に切符をはさみ、日付などのスタンプを押してもらうシステムに なっていると言う。時々駅員が見回りにきて、無賃乗車をしている者には罰金を払わすよう になっていると言う。これを聞いて冷や汗が出た。書斎の壁には、この時の演奏会のポスターが貼ってあるが、これを見るといつも、演奏会で聞いたアイネ・クライネ・ナハト・ ムジークの美しい音色と無賃乗車のことを思い出す。まさに、美しくも哀れな思い出である。

4.モーツァルトの魅力
 モーツァルトのどこが良いかと聞かれても、音楽評論家でないのでうまく答えることができない。そんなときは他人の言葉を引用するに限る。小林秀雄は著書「モオツアルト」の中で、「モオツアルトの悲しさは疾走する。涙は追いつけない。」とモーツァルトの音楽を評したが、言いえて妙である。
 またゲーテは、モーツァルトの音楽を「悪魔が発明した音楽」だと評した。美しい音楽で誰にでも真似できそうで、実は不可能な音楽、悪魔が凡人をからかうために作った音楽であるというのである。確かに5歳でピアノ曲を、そして9歳で交響曲を作るなどとは、神の子(神童)か悪魔でなければできない仕業であろう。二短調弦楽四重奏曲(四弦)などを聞いていると、まさに悲しさは疾走するし、イ長調クラリネット協奏曲は、透き通るような清澄感・美しさが形容しがたいほど素晴らしい。モーツァルトの音楽を「天使の歌声」とか「白鳥の歌」とか称したのは誰か知らぬが、まさに四弦(いや至言)である。

5.天才モーツアルト
 モーツァルトが天才であることは論を俟たないが、一説によると妻コンスタンツェは、夫が死ぬまで天才であることを気づかなかったと言う。これは、日頃妻から軽く見られて いる者としては看過できない説であり、そこで、かつて我が妻にこの話をしたことがある。 彼女の答えは、「ふ-ん」であり、「それがあなたと何の関係があるの」であり、軽く一蹴されてしまった。
 天賦の才を凡人は熱望するが、小林秀雄によれば、天賦の才は当人にとっては重荷であり、才能があるお蔭で仕事が楽なのは凡才に限るそうである。なるほど稀代の評論家の視点は凡人の及ぶところではないと分かったのはめでたいが、天賦の才なくおまけに仕事が重荷な者は、凡才にもなれないということが分かったのはめでたくない。凡才以下をなんと言うのだろう。彼の生前中に聞いておけば良かった。
 確か大ヒットした映画「アマディウス」でも、このモーツァルトの天才に嫉妬した宮廷楽長のサリエリが、自分には天才を認める能力しか与えてくれない神を憎み、モーツァルトをその神の申し子と見なし、殺害することによって神に報復するというストーリーであった。凡人以下としてはサリエリの気持ちがよく分かる。身につまされる思いである。それにしても、あの映画ではコンスタンツェの豊満な胸がやけに目についたなあ。
 凡人以下の嘆き・たわごととは関係なく、天才モーツァルトの音楽はあくまで清澄で美 しい。ゲーテモーツァルトの音楽をいみじくも「奇跡」と呼んだが、彼が生涯で作曲した600余の音楽はまさに奇跡である。35年の短く激しい生涯を駆け抜け、結果的には自ら の鎮魂歌となるレクイエムの完成を待たずにその一生を閉じたのが、1791年12月5日午前零時55分であった。
 今年はモーツァルト没後200年である。彼の音楽は時間を超越して我々に迫ってくる。 いや、彼の音楽はいつの時代にも、時代に先行しているのかも知れない。
      (愛媛県社会経済研究財団「社経研レポート」、第66号、1991 所収)

 

跋語
 約四半世紀前の駄文です。モーツアルト中毒症に罹患し、回復の見込みなく、慢性化しつつあった頃に書いたエッセーです。モーツアルトに魅せられて40年が経ちましたが、未だに症状は改善しません。死ぬまで直らないでしょう。

買い物難民を考える -賢い消費者から賢い生活者へ-

 近年、「買い物難民」という言葉をよく聞くようになってきた。地域にあった従来型の店舗の閉店により、自らの移動手段をもたない高齢者などが生活用品の購入に困るという社会問題、またはその被害を受けた人々を指す言葉である。中山間地域に多く見られる現象であるが、都市部においても一部見られる。

 買い物難民の発生理由としては、過疎化による購買力の減少、バスなどの移動手段の喪失などが指摘されているが、もっと本質的な問題があると思われる。それは、他ならぬ地域住民が地域の店を見棄てて、近隣都市の品揃えが豊富でより安い大型店を選択したことである。人々は1円でも安い買い物、換言すれば、「賢い消費者」を目指したと言えるであろう。手元不如意な身としては、あながち非難できない行動ではあるが、それが買い物難民発生の主要な素因の一つとなれば話は別である。

 賢い消費者を目指した結果として買い物難民が発生したとすれば、その行動は本当に1円安かったと言えるのであろうか。我々は「賢い消費者」である前に、自らの暮らしを守る「賢い生活者」である必要はなかったのか。

 近年、買い物難民対策として様々な提案がなされているが、本質的な対策は地域住民が自らのお店を、そして暮らしを守る努力をすることであろう。筆者の長年の研究フィールドである広島県旧高宮町川根地区では、撤退した農協の店を全戸が出資して地域唯一の店舗「万屋」を再興している。わずか600人の人口であっても、「自らの暮らしは自らが守る」という地域住民の決意と行動がこの奇跡を生んだのである。(愛媛新聞・平成26年2月27日「伊予弁」一部修正加筆)